珍しく天気予報が当たって雨が降った。
雨上がりの西の空はドラマチックで、新宿の高層ビル群とそれに繋がる空には、無数の雲が無限の色に照らされて浮かんでいた。
雲の色に負けず劣らず街のシルエットにも美しい光が射していた。
地下鉄に乗るのがもったいなくてふらふらと歩いた。
ビルの陰に隠れるようにして虹が見えた。
空全体が虹のようで、東京の空にオーロラが出ている光景を想像をした。
丸の内
- 2009/07/27(月) 23:35:36|
- CONTAX i4R
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
久々によく歩いた一日。
湿度のわりに空が青く、光がクリアだった。
炎天下に何時間も歩くのは体に良くないと知りつつ、気づくと数時間が過ぎていたりする。
人ごみを避けて裏通りに出るとほっとして、集中力が増すように感じる。
歩く時間は考える時間でもある。
夕刻には自宅に戻り、いつものように夕陽を眺める。
思考は回っているけれど、あまり深い方向には向かわない。
夕陽を眺める時間は頭を休める時間でもある。
新宿
- 2009/07/25(土) 23:29:03|
- OLYMPUS E-420 ZUIKO DIGITAL 25mm
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
丸の内
普段写真を撮っていると、無意識に安定した構図を探している。
その方が心地よいからだ。
以前グループ展に参加した時にも、「几帳面な性格が現れてる」と指摘してくれた人がいる。
しかし時には安定した構図を探せないこともあるし、意識的に崩したくなることもある。
そういえば一時期縦位置の写真が横位置の写真よりも圧倒的に多かったこともあった。
自分の中で波のようなものがあるようだが、その周期や変化する要因がどこにあるのかはまだ掴みきれていない。
いや、分析してしまうと面白くなくなってしまうから、無意識のうちにあまり考えないようにしているのかもしれない。
撮りたい物や反応する風景や場面にも波があって、だからこそずっと撮り続けることで自分が何者なのか、客観的に垣間見れる気がする。
写真を撮り続け、見続けることの面白みの一つ。
- 2009/07/22(水) 23:37:15|
- Zeiss Ikon M-ROKKOR 40mm
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
毎日通っている道でも無い限り、そこに以前何があったのかを更地になった後に思い出すのは難しい。
「建築計画」には未来しか記載されていない。
継承されない風景の記憶は、いずれ淘汰されて消えていくのだろう。
この後に創り出される風景が、少しでも長く人々の記憶に残るようなものであって欲しいと願う。
大塚
- 2009/07/21(火) 22:35:00|
- OLYMPUS E-420 ZUIKO DIGITAL 25mm
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
先週の土曜のことだが、
ギャラリー冬青にて「渡部さとる写真展 da.gasita2009」を見に行ってきた。
実はトークショーに行きたかったのだけれど、都合が付かずいけなかった。
土曜はさすがに人が多く、少し2Bの雰囲気のようになっていた。
そんな中で、少しだけ渡部さんと雑談。
気になった写真のことについてたずねたり、新しいカメラのことを話したり。
展示の方は新作ばかりと思っていたら、何枚か旧作が混じっていた。
違和感なく溶け込んでいて、つながっていることを感じる。
以前の展示から見ていることによる喜びの一つ。
モノクロの方が渡部さんらしいと思っていたが、今回のカラーの展示を見ても渡部さんらしいと思えた。
カラー作品を見る機会が多くなってきたからだろうか。

いずれ購入したいと思っていたプリントも展示されていたのだけれど、既にエディションが上がっていて価格が上がってしまっている。
やはり購入したいと思った時に購入しておくべきなんだろう。
エディションで価格が上がることやギャラリーが価格をコントロールできることは、作家にとってもメリットがあることだし、購入した人にとっても自分の持っている写真の価値が上がるというメリットがある。
ただ、多くの人に作品を所有してもらうことを目的とするのであれば、エディションでコントロールすることはその目的を妨げる方向にしか力が働かない。
価格がコントロール外で下がらないことを前提とすれば、エディションを設定せずに販売し、数多くの作品を世の中に広め、所有する喜びを味わう人が増えるほうが良いとする考え方もあるだろう。
要は作家が自身の作品をどう世の中に広げたいか、というスタンスなのではないかと思う。
- 2009/07/20(月) 23:45:27|
- Zeiss Ikon M-ROKKOR 40mm
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
街の片隅にはっとする場面を見つけることがある。
光と影の微妙な陰翳、コンポジション、モノ自体が持つ意味、時間の蓄積。
写真に撮りたいと思える場面にはそういったものがどこかに含まれているように思う。
- 2009/07/15(水) 22:47:32|
- Zeiss Ikon M-ROKKOR 40mm
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
真っ赤に燃える夕陽も好きだけれど、淡く染まる空も好きだ。
劇的ではないけれど穏やかに変化する色を見ていると、時間がゆっくりとではあるけれど確実に流れていることを意識させられる。
気がつくと、喧騒にさらされて固く身構えていた心が解きほぐされていく。
一日の終わりに過ごす、とても大切な時間。

701
- 2009/07/13(月) 22:28:01|
- OLYMPUS E-420 ZUIKO DIGITAL 25mm
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
この一瞬だけに現れる美しさを、少しでも長い間留めておきたい。
写真はその欲求をほんの少しだけ満たしてくれる。

701
- 2009/07/11(土) 21:51:02|
- CONTAX i4R
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
梅雨というよりも夏の湿度を感じる一日。
外を歩かなければならない時間帯に限って雨に降られる。
雨をよけるように桜の木の下を歩くと、右手に見える空地にムクドリが舞い降りた。
アブラゼミをくわえている。
夏の始まりにして既にその一生を終える命。
繁華街を歩くと、深刻な表情の男女が壁にもたれかかっているのが目に入った。
話の内容は聞こえないが、二人の視線の先に明るい未来は見えていないのだろう。
男が無言のまま立ち去る。
女は目で追おうともしない。
夏の始まりの日の、一つの終わり。
夕刻、自宅のベランダから西の空を眺める。
遠くの空は雲間から覗く夕焼けなのに、頭上からは大粒の雨が落ちてくる。
雨に打たれても濡れているように感じない、不思議な時間。
少しずつ弱まっていく雨に合わせるかのように、ヒグラシの鳴き声が響き始める。
幼い頃の記憶では、ヒグラシは夏の終わりの象徴。
だがここでは夏の始まりを告げる役割を担っているようだ。
少しでも長く夏を謳歌してくれれば良いな。
- 2009/07/08(水) 23:12:37|
- OLYMPUS E-420 ZUIKO DIGITAL 25mm
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
写真集を見に外苑前へ。
いくつか欲しい候補があったのだが、印刷が悪く、どうにも響いてこない。
何も買わずに店を出て、原宿方面に歩く。
雨が降るとの予報だったのだが、少しずつ晴れてくる。
方向転換して新宿方面へ。
千駄ヶ谷の駅を超えて新宿御苑を過ぎると、
トーテムポールフォトギャラリーまでもう少し。
現在ギャラリーのメンバーと服飾ブランドとのコラボ企画が行なわれていて、先週行こうとしたのだけれど、突然の雨で断念していた。
展示は6名それぞれの個性が出ていてバラエティーに富んだ内容。
普段の写真展と展示方法も違っていて、華やかな印象。
外苑前からTPPGまでは、外苑前から渋谷までの距離とほぼ同じ。
そういえばこれまでこのエリアを歩いたことがなかった。
もう少し遠い印象を持っていたから、いつも電車に乗ってしまっていた。
いつもどおり色々と横道にそれながらの散歩は楽しい。
外苑前、北参道、千駄ヶ谷のそれぞれの駅に囲まれたエリアは落ち着いていて、なおかつおいしい食事を出してくれそうな店がたくさんあった。
駅からの距離が遠い地域は、近所に住んでいる人だけが利用するお店が増える。
こういうエリアで長く続いているお店はまず間違いなくおいしい。
これは神戸に住んでいた頃に得た経験則。
TPPGを出た後、新宿方面へ。
少しぶらぶらと歩いた後JRに乗ったのだが、バーゲンに突入したようで人の量が通常よりもかなり多い。
どんなに長い距離を歩くより、人ごみの中を歩く方が疲れる。
これは東京に来てから得た経験則。
- 2009/07/04(土) 22:19:24|
- Zeiss Ikon M-ROKKOR 40mm
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
マメ科の植物には先駆植物が多い。
荒廃した土地に最初に入る植物だ。
その分根が浅く、強い風等で倒れやすい。
そんな見方が出来ると、街を歩いていて見えてくる世界に時間軸が加わる。
植物に限らず、いろんなことを知ることは街を歩く時の楽しみを増やす。
- 2009/07/03(金) 23:32:01|
- Zeiss Ikon M-ROKKOR 40mm
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0