ずっと見続けているせいか、あまりドラマチックではない夕暮れにも惹かれるようになってきた。
ロックやパンクよりもジャズに惹かれるようになったのと同じような感覚だろうか。
もちろんロックやパンクも好きなのだけれど。

701
- 2008/07/31(木) 23:59:37|
- OLYMPUS E-420 ZUIKO DIGITAL 25mm
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急で短い大阪行き。
道頓堀川の両岸に人が入れるようになっていて、法善寺横町が少し綺麗になっていて、なんだか活気付いたように思えた。
夜の街をふらりと歩いた後、ホテルでぼんやり。
いずれ大阪に戻ろうと思っているのに、東京でしかできないことを先延ばしにしている自分に気が付く。
高いところから夜の街を見ていると、時々大切なことを思い出す。
ネオンサインは暖かく、そしてやさしい。

大阪/日本橋、道頓堀川
- 2008/07/30(水) 23:09:31|
- CONTAX i4R
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短編集を読んで、映画を見て、街を歩いて家路についた。
今にも降り出しそうな雲と時々響く雷に急き立てられるように、歩調を速めた。
部屋に着くと雨が降り出した。
雨は降っているのに西の空は真っ赤な夕焼け。
たくさんの物語に触れた一日の締めくくりにふさわしい光景。


701
- 2008/07/27(日) 23:10:51|
- OLYMPUS E-420 ZUIKO DIGITAL 25mm
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頼まれたものを持って2Bへ。
16時前に到着すると、ワークショップの最中だった。
もう25期らしい。
ワークショップ終了後に雑談。
写真を持ってきた人が大きな机に並べる。
9月のグループ展に参加する人の写真だ。
並べ方やプリント、写っているものについてなど、内容の濃い話が飛び交う。
こういう会話の中で、自分が写真を見る時の視点以外の視点を見つけられるのが好きだ。
引き出しは多いほうが良い。
渡部さんが有元さんから買ったプリントを見せてもらった。
僕が持っているイメージと同じものだけれど、大きさが違う。
それだけで随分印象が変わるものだ。
小さい方が静謐で緻密な印象がある。
あまり大きすぎない方が、「写真」としてのリアリティは強い。
「紙」であることがダイレクトに伝わってくるからだろう。
「紙」の存在感を直感的に感じられる大きさには、限界があるのかもしれない。
手に取って見る写真と展示する写真は別物だ。
同じものを基に作られているのに別物になるというのは、写真の特性。
同じイメージを大小別々のサイズで所有したい、という無謀な欲求が一瞬頭をかすめた。
写真以外にも、クライマーズ・ハイの話や英語の話、アルルに行ってきた人の報告など、とても内容の濃い数時間を過ごした。
こういう場所がいつでも開いているというのは、本当に幸せなことだ。
- 2008/07/26(土) 23:59:25|
- Zeiss Ikon Planar 50mm ZM
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モエレ沼公園。
イサム・ノグチ氏設計の公園。
学生の頃にはよく雑誌や専門書などにも取り上げられていて、一度は行ってみたいと思っていた。
実際に行ってみると、やはりしっかりとした設計思想に基づいて作られた公園というのは心地よい、という感想を持った。
人が作った空間で、人がのんびりと平和な時間を過ごす。
なんとすばらしいことだろう。
モエレ沼公園
- 2008/07/25(金) 23:36:49|
- Ricoh GR1v
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TPPGへ向かう道。
わくわくしながら歩いていると、ふと上空に花が揺れるのが目に止まった。
屋上に咲く花の名は夾竹桃(キョウチクトウ)。
煙害(排気ガス等による被害)に強く、夏に花を付けることから、街路樹に多く使われる。
街路樹に使われるような強健な植物で夏に花を付けるのは、夾竹桃と百日紅(サルスベリ)ぐらいだろうか。
性質の強さでは夾竹桃に分があるため、街で見かける確率は圧倒的に夾竹桃の方が高い。
しかし低い位置から分枝するので樹形がすっきりしないことと、工場地帯に多く植えられるイメージから、それほど好きな植物ではなかった。
が、この日見た夾竹桃は違った。
空に向かってふわりと揺れる姿がとても美しい。
街路樹に植えられている姿とはまるで違う。
同じ夾竹桃なのに。
植えられている環境によって見る側の意識が変わるという事実に、少し申し訳ない気持ちになった。
これからは街で夾竹桃を見かけたら、少し見方が変わりそうだ。

四谷
- 2008/07/23(水) 23:59:24|
- CONTAX i4R
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有元さんのプリントを受け取りに
TPPGまで。
先日のビューイングのあとギャラリーで選ばせてもらったもの。
今回はチベットのシリーズとariphotoのシリーズ、そしてこれまでの展示では見たことがなかったもの。
もう3回目なのだが、何回目でも受け取りの日はいつもわくわくする。
そしてプリントを見せてもらった瞬間には、いつもはっとする。
生々しくて美しくて、細部まで見始めるといつまでも飽きない。
プリントが大きいこともあって、いつも見ている写真集とは違った部分が見えてくる。
チベットの写真は、長い間焼いていなかったものもあって、今の技術と当時の技術を織り交ぜて焼かれたそうだ。
当時苦労して焼いた焼き方を再現したりしていただいたそうで、そのおかげで思い描いているイメージどおりの写真になっている。
そして明らかにariphotoのシリーズとは印象が違う。
写っている写真の全体のイメージは大きく変わらないけれど、プリントそのものの印象には明確に差がある。
一人の写真家からたくさん作品を買うことの醍醐味の一つ。
今回は明日から始まる
河内智子さんの展示の搬入終了直後にお邪魔したので、河内さんの作品もじっくり見せていただいた。
ゆっくりと話をした後ギャラリーを後に。
とても贅沢な時間を過ごせた。
帰りはいつもどおり人ごみを避けて遠回り。
早く帰って見たいのだけれど、いつもより時間をかけて帰る。
特別な日の儀式のようなものだ。
部屋に帰ってからこれまでの写真と共に見る。
枚数が増えればお互いに影響しあってより広がって見えてくる。
とても贅沢な時間。
こんな時間をいつでも味わえるのだから、ほんとうに幸せなことだと思う。
四谷
- 2008/07/21(月) 23:23:52|
- CONTAX i4R
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映画
「歩いても、歩いても」を見る。
予告編を見ていて早く見たかった映画。
あまりにも現実的過ぎる情景に、自分のことや親のこと、姉のことを重ねてしまう。
お墓の風景などは、祖父母のお墓のある風景とほとんど同じだ。
少し間の抜けた場面に何度も笑いが起きていたが、ほとんど笑うことができなかった。
切ないけれど受け止めなければいけない現実は、客観的にみると滑稽に見えるのかもしれない。
「家族」そのものについて考えさせられる点では、重松清の作品に近いものを感じる。
随所に写真的で美しいイメージが散りばめられているが、特にラストシーンが好きだ。
何の変哲もない風景なのに涙がこぼれそうになった。
希望が見えたからかもしれない。
- 2008/07/21(月) 23:23:27|
- CONTAX i4R
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以前から頼まれていた用事を済ませるため、久々に2Bへ。
昨日見た映画の影響もあって、渡部さとる師匠と久々にゆっくり話をしたくなった、という理由もある。
いや、どちらかというと後者の理由の方が大きかったのかもしれない。
御巣鷹山の現場での話や新聞社時代の話など、興味深い話をじっくり聞く。
やはり相当長い間当時のことを話すことができなかったらしい。
「クライマーズ・ハイ」は実際に現場に足を踏み入れた人たちにとっては決して軽く見られる映画ではないだろう。
そしてもしかすると「こんな甘いもんじゃない」と言う人もいるかもしれない。
小学生の頃に修学旅行で訪れた原爆記念館(平和記念資料館)で、被爆した街や人の模型を目の前にして実際に被爆された人が「こんなにきれいなもんじゃなかった」言われていたことを思い出す。
きっと思い出すことすら言葉で言い表せないほど苦しいことなのに、「なかったこと」にしないためにしっかりと話をしてくれたのだと思う。
久々にゆっくりと話をし、写真をたくさん見た後、江古田を少し歩く。
東京駅に向かい、その後新宿へ。
2B仲間で久々に集合。
今夜の風はひんやりしていて心地よい。
- 2008/07/20(日) 23:59:22|
- OLYMPUS E-420 ZUIKO DIGITAL 25mm
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クライマーズ・ハイを見る。
どうしても見ておきたかった映画だ。
理由は二つ。
小学生の頃に数年に渡り父親が登山に連れて行ってくれた記憶と、オーバーラップする部分があると思ったから。
もう一つは、渡部さとる師匠の「旅するカメラ2」の「御巣鷹山」というコラムを何度も読んでいたから。
小学生の自分には、なぜ父親が山に登るのか、なぜ息子を連れて行くのか、そんなことを考えることすらできなかった。
ただ、山の上で教えてもらったことは今でも鮮明に覚えていて、それが自分の中の基準になっているものが、たくさんある。
残念ながら僕が中学2年の時に登った山の上で、父親は原因不明の病気にかかり、夏の1ヶ月を山梨の病院で過ごした。
それ以降親族等周囲から止められたこともあり、父親と山には登っていない。
今思うと、まだまだ幼い息子を連れて3000m級の山に登るのは容易ではなかったはずだ。
それでも息子を連れて行きたかった理由が、今なら少しだけわかる気がする。
映画を見ながら、何度も何度も父親の気持ちを想像した。
映画を見て帰ってきてから、「旅するカメラ2」の「御巣鷹山」を読み返してみた。
新聞社で働いたことがないから、以前読んだ時は現場の雰囲気や緊張感などはうまく想像することができなかった。
今回映画を見てから読み返すと、手に取るように、そしてあまりにもリアルに状況が想像ができてしまう。
あの日現場で見られたであろう壮絶で悲惨な状況、新聞社間の競争、新聞社内での葛藤、コラムには書かれなかったけれどそこに確かに存在していたであろう、様々な物語。
師匠が自身の日記で書かれているように、「忘れてしまえばそのことは「なかった」ことになってしまう。」
決して見た後に清清しい気分になれるタイプの映画ではないけれど、とても大切な時間を過ごすことができた。
ハッピーなものばかりを見ているわけにもいかないので、たまにはこういう日も必要なんだと思う。
- 2008/07/19(土) 23:59:04|
- CONTAX G2 Biogon 21mm
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京都へ向かう新幹線。
車窓に見える雲が流れていく様が美しい。
特に滋賀県辺りを通過する時、水の張られた水田と青空に浮かぶ雲の美しさは、言葉では言い表せないほどだ。
形のはっきりした雲が幾重にも重なってぽっかりと浮かんでいる。
とても好きな雲の形。
以前より西日本の空に浮かぶ雲の方が低いように感じていたが、今回もその感覚を強める結果となった。
理由はわからないが、何度も同じような感覚を持っているので、大まかな傾向としては間違っていないと思う。
新幹線に乗って西に移動する時の、ちょっとした楽しみ。
- 2008/07/18(金) 23:47:15|
- CONTAX i4R
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少し遠方に行く用事があって早めに起きた。
こういう日はだいたい目覚ましの少し前に起きるのだが、今日は早朝の雨音でさらに早く目が覚めた。
雨はすぐに止み、早朝の静けさが訪れる。
雨上がりの朝も良いものだ。
予定よりも早く家を出て、この静かな朝の空気を味わうこととする。
車窓からの眺めに占める丘陵地の割合が高くなると、郊外に来たのだという実感が強くなる。
案の定目的地にはずいぶん早く着いてしまった。
駅周辺を歩くと、遠くで発泡スチロールの箱を両手に持って振り回している男がいる。
開店前の八百屋さんのようだ。
近づいてよく見てみると、山積みのキャベツに近づくモンシロチョウを追い払うために格闘している。
何の攻撃力も持たない蝶に対するには大げさすぎる発泡スチロールが、逆にこの男の姿を滑稽に見せている。
そういえばモンシロチョウはキャベツに卵を産む性質がある。
しかし八百屋の軒先のキャベツに必死になって近づこうとするモンシロチョウを見たのは初めてだ。
駅に戻ると、朝の喧騒が徐々に始まりつつあった。
一人喧騒の流れと違う動きをする男がいる。
みんなに愛想を振りまいているようだが、片手には日本酒のパック。
さらによく見るとベンチには同じパックが等間隔にそれぞれの椅子1つおきに置いてある。
かなりの数の日本酒を飲んだのだろう。
人の流れはこの愛想の良すぎる酒好きの男の存在を無視するかのように綺麗に分かれて流れていく。
手に持ったパックと愛想の良すぎる笑顔を見れば、関わりたいと思う人はいないのかもしれないが、この男もどこからどう見ても攻撃力を持つようには見えない。
気がづくと、待ち合わせの時間。
ほんの短い時間ではあったが、朝の静けさと喧騒の間で久しぶりにしっかりと街を歩いたような気がする。
- 2008/07/16(水) 21:46:45|
- OLYMPUS E-420 ZUIKO DIGITAL 25mm
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「今森光彦写真展 昆虫 4億年の旅 ー進化の森へようこそ」へ。
今森光彦氏の名前を知ったのは、大学の頃の専門書の記事でだ。
里山の生態を追い求める写真家は、当時の農村環境に関するシンポジウムでもよく話をされていた。
今に比べるとまだまだ「里山」という言葉自体も広がっていなかった頃だったと思う。
「里山」という言葉そのものは研究室の元教授が随分前に論文で発表していたのだが、世間一般に広まったのはこの10年前後のことではないだろうか?
そんなこともあって僕の中での今森さんに対するイメージは、世間一般での「昆虫写真家」といったものとは違い、「農村環境や里山の生態に関する研究者」といったものに近い。
今回の東京都写真美術館の展示では、主に昆虫そのものに焦点が当てられている。
エプサイトや大丸東京で行なわれるほかの展示と合わせて初めて今森さんの正しい姿が捉えられるように思うが、今回の展示だけでも十分楽しめる内容だった。
写真作品としても十分に美しい。
特にフラッシュを使ってのライティングのおかげか、背景の黒が美しく締まっている。
蝶が乱舞する写真は、じっと見ていると感動さえ覚えた。
僕は小学生の頃、周囲の畑や水田、林や草むらで虫を追いかけ、捕まえた虫の名前や生態を図鑑で調べることが大好きな少年だった。
いわゆる典型的な昆虫少年だ。
夏休みの早朝、近くの山にカブトムシを取りに行った時のこと、草むらで擬態している昆虫を見つけた時の喜び、図鑑でしか見たことがなかった昆虫に出逢えた時の驚き、、、、今でも驚くほど鮮明に覚えている。
今森さんは滋賀県の琵琶湖のほとりに里山を購入し、今でもその山の維持管理活動を行ないながら撮影を続けている。
里山や農村の生態系が崩れていく原因は、農村環境全体の維持管理サイクルの変化にある。
減反政策の影響や使用燃料の変化もあって、里山での間伐作業に代表される維持管理活動が、必要不可欠なものではなくなってしまった。
農業が儲からない職業となってしまっては、後継者の問題も出て来る。
それらの問題を解決する方法は、(農業のためでなくとも)なんらかの形で、誰かが、農村環境の維持管理サイクルを担わなければならない。
今森さんが山を購入し、自らそのサイクルを維持し、そこで見られる豊かな生態を写真に写す道を選んだのは、当然の成り行きだったのかもしれない。
もちろんそこには大きな決断があり、犠牲にしたものもあったのだろうけれど。
もし僕が幼少の頃に今森さんの著作に触れ、その当時既に里山の維持活動を行なわれていたとしたら、恐らく僕の人生は大きく変わっていただろうとも思う。
僕が育った場所は、当時かろうじて周囲に水田が残っていた農村環境だった。
しかし今は既に水田を放棄し、畑や住宅となってしまった土地も多い。
一度失われたサイクルを元に戻すことはたやすいことではない。
僕が幼い頃見つけられたありふれた昆虫も、いつのまにか絶滅危惧種となってしまう時代が来るかもしれない。
東京の生活も楽しいけれど、いずれ実家に戻った時に、幼い頃に見た昆虫をまた捕まえることができる環境が残されている保証はない。
そうならないように自分に何ができるか、そろそろ真剣に考えないといけないな。

701
- 2008/07/12(土) 23:51:37|
- OLYMPUS E-420 ZUIKO DIGITAL 25mm
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あっちの道に行っていれば、、、なんて思うのは、分かれ道を思い出すから。
さんざん悩んで決めた道なのにもう一つの道を思うのは、決めた時の自分を裏切ることでもある。
まあ現実はそんなに潔くは行かないのだけれど、悩んでしまった時には迷ったこと自体を忘れようと努力する。
目の前に広がる楽しいことを考える方が、限られた時間を有効に使えるように思うから。

大塚
- 2008/07/08(火) 23:31:01|
- ROLLEIFLEX 3.5F Planar
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部屋のベッドに座っていると、カーテンがオレンジに染まった。
カーテンを開けてみると、夕陽が沈んでいくのが見えた。
あまりに眩しく、神々しい風景。
一人で見るのはもったいないな、と思ってしまった。

- 2008/07/06(日) 22:54:40|
- OLYMPUS E-420 ZUIKO DIGITAL 25mm
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昨年から夏になるとベランダにタープを張ることにしている。
タープとは、天井部分のみのテントのようなものだ。
僕の部屋は7階建てマンションの7階にある。
広いベランダはルーフバルコニーで、南西向きだ。
つまり夏場の西日は強烈で、一日中太陽の直射を受けたベランダは真夏のプールサイドのように熱くなる。
ところが僕の部屋にはクーラーが付いていない。
僕が住む前に大家さんが部屋を改装した際、古いエアコンを取っ払い、新しいものを付けてくれなかったのだ。
そしてこの部屋に住み始めた当初、何年住むかわからないから(それほど長い期間は住まないだろうという予測もあって)エアコンを取り付けないでおこうと決めた。
幸い窓を3方向開け放てば、それなりに風が通り、夜はそれほど暑くならないため、2度の夏をやり過ごすことができた。
近くに護国寺や豊島が岡陵があることも影響しているだろう。
しかし2年目の夏の終わり、大阪から歌仲間がやってきた時、ベランダで寝ていて気づいた。
夜になってもベランダの床面のコンクリートの温度が下がっていないことに。
そういえばコンクリートは熱容量が大きく、コンクリートで造られたマンションの壁は夜になっても温度が下がらない。
しかしこれほどまでとは思っていなかった。
風は涼しいのに、朝方まで背中からじわじわと熱さが伝わってくる。
まるで岩盤浴だ。
熱容量が大きいというのは、一度熱せられた熱がなかなか逃げないということを意味する。
日中ずっと太陽の光が当たっていたマンションの壁は、その間吸収した熱をじわりじわりと夜中放出し続けることになる。
都心部は夜でも温度が下がらないのはこのためだ。
現代の都市はマンションに限らず、コンクリートやアスファルトも含めて熱容量の大きいもので構成されている。
瓦や水田のように熱容量の小さいもので街が形成され、昼間熱くなっても夜には外気と同じように冷えていた頃のようには戻れなくなっている。
昨年からタープを張るようになったのは、せめてルーフバルコニー部分に当たる太陽光を遮り、夜中発せられる熱を減らそうという意図からだ。
当然マンション全体が熱せられて発する熱は防ぎようもないが、一昨年に比べて昨年は随分過ごしやすい夜が増えたように思う。
今年も昨日辺りから急激に陽射しが強くなっているように感じ、今日タープを張った。
空は少し狭くなってしまったが、夜のベランダはひんやりと心地よく、快適そのものだ。
東京でクーラーのない部屋に住んでいる、と言うと驚かない人はいないが、「夏は暑いものだ」と割り切ってしまえば思いのほか苦にならない。
いや「苦にならない」のではなく、夜の風の心地よさを知ってしまってやめられなくなっているのかもしれない。
ボタン1つで得られる快適よりも自分で工夫して得られる快適の方が心地よいのは、とても自然なことのように思う。
- 2008/07/06(日) 00:06:55|
- CONTAX i4R
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