日々の空

気の向くままに写真を撮り、思いつくまま文章を綴った日々の泡の記録。

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再び奥山淳志さんの写真集「弁造」

またじっくりと写真集を開いている。
物語の結末を知っているはずなのに、何度見ても、何度読んでも心が揺り動かされる。

弁造さんが逝ってしまった後、その空間を埋めるように人が集まり、”今”が続いていく。 
過去と今とが重なり合い、その中にある奇跡のような繋がりに、ただただ感動する。
 
奥山さんの言葉は、弁造さんへの感謝の手紙なのかもしれない。
二人の強い”縁”としか言えない結びつきが奇跡を生み、それを私達が見させてもらっている。 

写真集というジャンルを超越して、後世に語り継がれるべき作品だと思う。
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  1. 2018/01/25(木) 01:15:00|
  2. 写真集
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奥山淳志さんの写真集「弁造」

 
奥山淳志さんの写真集が完成した。
個人的に親しくさせていただいていることもあり、一足お先に送っていただいた。
襟を正して見ていたら、気づくとあっという間に2時間半。
ただただ感動し、涙が溢れた。

奥山さんと最初にお会いしたのが2010年、トーテムポールフォトギャラリーで行われた個展で、その際のテーマが弁造さんだった。
それ以来奥山さんとも色々な話をし、突然の弁造さんとのお別れを知り、奥山さんのフィルターを通して弁造さんのことを色々と考え、直接弁造さんとお会いしていないにも関わらず自分の心のどこかに弁造さんが存在しているような、不思議な感覚を持っていた。
今回の写真集で、自分がこれまでに見た写真、知っていたこと、見たことがない写真、知らなかったこと、それが一冊の本という”モノ”となって提示され、これまで以上に弁造さんの存在が近くなった。
写真と言葉、写真集というモノとしての存在感、それらが一体となって心に入ってくる。
写真が”消費”される時代にあって、これほど丁寧で深い仕事の結果として写真集が生み出されたのは、奇跡に近いのではないかとすら思う。

写真評論家でもなんでもなく、写真を職業としている人たちと比べるとそれほど多くの写真を見ているわけでもないので、写真の世界の文脈での位置づけや素晴らしさを語ることはできないが、とにかく感動し、そして人生において長く自分の考え方や心の有り様に影響を与えてくれる一冊になるであろうことだけは、確信できる。
もちろん個人的に親しくさせていただいているので、贔屓目に見えている部分もあるとは思うが、写真の力、物語の力に加え、普遍的であることが、自分の心が動く大きな理由なのだと思う。

写真の美しさについて。
初めて奥山さんの写真を風の旅人で見た時から、奥山さんの写真には優しく強い力を感じている。
ただ表面的に美しいのとは異なる、どこか心に残る湿度のようなものがあり、それが生身の人間の感覚に訴えるということなのかもしれない。
被写体の力もあるだろうし、目の向け方もあるだろうし、プリントの美しさもあると思うが、とにかくどこかに懐かしさを感じるような、何も感じずに簡単に次のページに行けないような、そういう写真としての力を感じる。

物語の力について。
物語の面では、弁造さんと過ごした時間、弁造さんとの対話、弁造さんの言葉、生き方、出来事、そういったことが、奥山さんの思索の賜物である”言葉”を通じてすっと心に入ってくる。
写真だけではわからない不思議を、決して説明的ではなく補完する道具として、奥山さんの言葉は写真とのバランスも含めてとても優しく、強い。
ページを開いた最初の瞬間から最後のページをめくるまでがとても短く、美しく深い世界に浸っているような感覚を持つ。
例えが正しいのかはわからないが、とても感動する映画を見ているような、そんな感覚。

普遍性について。
弁造さんという一人の男性は、あくまでも一個人でしかない。
ただ、この写真集を通じて、今というその瞬間を見つめることやその難しさ、生きることの不思議といった、普遍的で深い問いに対する一つの答えを見つけることができるような気がする。
あくまでも一つの答えであって、答え自体に普遍性があるわけではないが、それでも自分が生きるスタンスに影響を及ぼしてくれるであろうと確信しているのは、その答えが自分が感じているものと近く、どこかで深く呼応するからなのだと思う。

写真はいつも過去であるが、写っている対象は確実にそこに存在していた。
人は記憶、つまり過去を振り返ることでしか未来を見ることができない。
今という瞬間は、過去の積み重ねで成り立っている。
今弁造さんがいないという事実は事実だが、弁造さんのことを思うことは、弁造さんが今この瞬間に生きているということと同義ではないか。

若い頃に大学の同期と生きることの意味について議論した際の言葉を思い出す。
「俺は形ある何かを残せなかったとしても、誰かの記憶に残ればそれで良いと思っている。」
奥山さんは写真集という形あるものを作り、それによって弁造さんは多くの人の中で再び生き始めた。
奥山さんにとってはそれが何よりの喜びなのではないか。
そこまでの思いを持ってもらう弁造さんという存在の大きさ。
一度生前にお会いしたかったな、とも思うが、残された言葉、絵、庭の写真を通じて弁造さんが考えていたことを想像するだけでも十分にその大きさが伝わってくる。
会いたくなったら写真集を開くことにしようと思う。

http://benzo-book.atsushi-okuyama.com/benzo/
http://photography.atsushi-okuyama.com/

ニコンサロンでの個展
http://www.nikon-image.com/activity/exhibition/salon/events/201706/ex_20180124.html







  1. 2018/01/21(日) 23:31:00|
  2. 写真集
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喜多村みか写真集「Einmal ist Keinmal」

喜多村みかさんの写真展を観に行ったのは、2011年2月。
http://swing75.blog54.fc2.com/blog-entry-2128.html

その時にも記事に書いたが、キヤノン写真新世紀展を毎年見に行っていた中で今だに印象に残っている、最も好きな作品が「TWO SIGHTS PAST」であり、それは今も変わらない。
今日まで東京で展示があって行きたかったのだけれど、都合が合わず行けなかった。

その代わり、というわけでもないのだが、写真集を購入した。
喜多村みか写真集「Einmal ist Keinmal」

何日か前から毎晩見ている。
最初に感じた感想は、「わからない」ということ。
前半のページをめくっていると、頭が混乱してくる。
「なぜ?」が頭の中に走りだして次のページをめくらずにいられなくなる感覚。
そして何度か見ていくうちに、やはり一番最初に東京都写真美術館で感じた感覚と同じように、すっと写真の向こう側の世界に没頭していく自分に気づく。
徐々に「わからない」が不可解な心地良さになってくる。
何度も見ているうちに理解するための”手がかり”のようなものに気づく写真があったり、自分自身の経験を重ねあわせて既視感を感じる写真があったり。
そして一気に最後まで目を通してしまう。

写真集はページ数が多くなればなるほど、その構成によって最後まで集中が続かないものもあるが、全くそんなことはなく、どんどん没頭してしまう。
喜多村さんがどれほど意識して構成されているかはわからないが、写真集全体を通じて動きがあるように感じる。
映画を見ているような、車に乗っているような、うまく説明するのが難しいけれど、とにかく「動いている」感覚にとらわれる。
その感覚こそが、最初に写真新世紀展で見た写真集を何度も何度も並んででも見たくなった感覚なのだと思う。

写真集を見ていて、好きになるかどうかの判断基準の一つに、”自分が写真を撮りたくなるかどうか”という基準がある。
喜多村さんの写真集を見ていると、無性に写真が撮りたくなってくる。
きっと何年先になっても、何度も何度も見続ける写真集になるだろう。

13040601.jpg
  1. 2013/04/06(土) 22:43:25|
  2. Sony α NEX-5 G Planar 35mm
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Memoires.―1984-1987

古屋誠一さんの写真集Memoires.―1984-1987が届く。
昨年出版されたものだが、遅ればせながらの入手。
いつも古屋さんの写真集を見る時は、襟を正す気分になる。

カラーとモノクロが混ざっている。
多重露光でダブル、トリプルイメージとなった写真もある。
ページをめくり、クリスティーネさんの最後の日記。
美しい光が、悲しみを助長させることがあることを知る。
街は淡々と流れる。
一人の写真家が生き続けている。
写真家としての計算もあるだろうけれど、生きていることが表現そのものになっている。
文字は少ないけれど、たくさんの言葉を吸収した気分。
本当に良い写真集だと思う。

11021801.jpg
  1. 2011/02/18(金) 22:55:01|
  2. Leica X1
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Asakusa Portraits

鬼海さんの新しい写真集(Hiroh Kikai: Asakusa Portraits)がやっと届いた。
(中身はこちら→Steidl: Asakusa Portraits, Hiroh Kikai by ICP
以前ニューヨークで展示があるという話は聞いていたので気になっていたのだけれど、ここで写真集が出たことを知ってすぐ買うことを決めた。
ところがAmazonでは販売されていなくて、洋書屋さんで取り寄せてもらった。
円高になったこともあって当初の予定価格よりも少し安くなったものの、その後チェックしたらAmazonで普通に買えて、さらに安くなっていた。
洋書に関してはAmazonで買うのが一番安いようだ。

内容はこれまでのぺるそなのシリーズからのものがほとんどだけれど、恐らく初めて見る写真もある。
印刷が良くて満足している、と鬼海さん自身もおっしゃっているようで、実際に中間調がとても美しく出ているように思う。
普段はぺるそなの普及版を見ているのだけれど、鬼海さんの写真にはやはりハードカバーの方が似合う気がする。
写真が小さいとディテールにまで目が行かないことも多いのだけれど、大きい写真だとその人物の持ち物や顔の傷などにも目が行く。
そこからどんどん思考が回り始める。
最小限の言葉しか記されていないため、自然とその人の背負ってきた歴史や人となりを想像してしまう。
人間というのは、言語による情報量が少なければ映像から得られる情報で無意識に思考し始める生き物のようだ。
写っている人も強い個性を放っているのだけれど、どうしてもそれを写している鬼海さんの方にも意識が向かう。
シンプルな方法ゆえに絶対に真似できないと思える力がある。
ページをめくる速度がどうしても遅くなる。
中身のずっしり詰まった写真集だと思う。

08111501.jpg
  1. 2008/11/15(土) 23:57:59|
  2. ROLLEIFLEX 3.5F Planar
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写真と音楽と植物をこよなく愛する大阪人です。
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